I Did It All For You

【注意書き】

・END1または2を迎えた後の2人
・たぶん半同棲してる
・本編ネタバレあり
・セクシャルな仄めかしあり
・かすかにですが女性優位を思わせる言動少しあり
・設定ふんわり

 

I Did It All For You

 

ポツリ、ポツリとハンドバスボウルに垂らされた精油がお湯に溶け込むのを、見るとはなしに眺めていた。
柑橘と、花の混じった香りが鼻腔をくすぐる。

「ん、温度いい感じ。チアキ、片手いれて」

「ああ」

彼女に促されるまま、ハンドバスボウルに右手の指をくぐらせた。
空いた左手を彼女が引いて、入念に指先を見つめる。

「甘皮はちょっと押すぐらいで良さそうかな。いつもどおりやるね」

「任せるよ」

再会した彼女と俺とは、いわゆる半同棲の状態になってしばらく経つ。
そんな日々の中で、彼女が俺に望んだ事がひとつある。

「ねえチアキ。爪の手入れ、私にやらせてくれないかな」

「それは構わないけど。いったい、どうしたんだ?」

「あのね」

曰く、俺が彼女の部屋で爪を切った後、高確率で床にかけらが落ちているという。
また、俺のやり方はシンプルに爪切りで切るだけで、それも深爪気味なのが心配だとの事。

「実家にいた時から思ってたんだけど、男性の爪って硬くて。
踏んだり、靴下にひっかけるとあとが大変なんだよ。
深爪気味なのも心配だし、趣味と実益兼ねて私に手入れさせて欲しいな」

俺の自宅には、仕事の用事と週の半分程度寝に帰るか帰らないかで、ようは彼女の部屋に入り浸り気味だ。
滞在中に、つまらない迷惑をかけるのは頂けない。
また、彼女が”趣味”と称したとおり、この部屋にはネイルケアの道具が一揃いあるのだ。
是非もなく俺は頷いて、それは行われるようになった。
今日は週に一回のハンドケアの日だそうだ。
足の爪については伸びる速度が少し違うので、2週に1回程度だったと思う。

「チアキ、ふやけすぎる前に右手出して、左手いれて」

「わかった」

ちゃぷ、と水音を立てて引き上げた右手を彼女に取られ、丁寧にタオルで拭われる。
水気を拭き切ったところで、彼女は甘皮を押し上げる器具を取り出し、まず親指から手入れを始めた。

この作業をするために彼女の髪は高い位置にひとつでまとめられていて、
ほそい首のラインがよく見える。
うつむいて、真剣に俺の手元を覗き込むまつげの繊細な影に見惚れているのを、
彼女は知らないだろう。
たいていの場合、この作業が行われるのは彼女の風呂上がりだから、これだけ密着すると肌や髪からほのかな芳香を感じて、俺はドキドキして落ち着かない気持ちになる。
いや、やさしく手を取られて触れられている状況自体は嬉しいんだけどな。

「右手の甘皮処理終わったから、今度は左手出して」

「ああ」

言われるがまま濡れた左手を彼女に差し出して、右手と同じ工程が施される。
それが済むと、数種類のヤスリで爪の形を整えた後、表面を磨き上げて。
丹念に作業を終えた彼女は、仕上げにハンドバームを塗ってマッサージまでしてくれる。

「よし、終わり。綺麗になったよ」

「ああ、ありがとう。俺はいいんだけど、君は毎週大変じゃないか?」

作業工程も少なくないし、時間もかかる。
何となく調べたらサロンなんかで施術してもらうと、これはそれなりの価格を取られる内容だった。
それを告げれば、彼女はふっと口角を持ち上げてみせた。

「ああ、いいのいいの、好きでやってるし。
言ったでしょう、趣味と実益兼ねてるって」

「趣味はわかるけど、実益ってのがいまいちピンと来ないんだ」

「そうだね、実益は意外と多いよ?まず、床に散った爪を踏まずに済む。
あとはチアキが深爪にならないで済むし、私も伸びた爪の指先で触れられずに済むじゃない」

「!っ、ああ、そう、いう……」

「うん、そういう実益」

焦った俺と対象的に、余裕のある彼女ににっこりと微笑まれる。
彼女は、ことこういう話をするのにあまり衒いがない。
たまに、どぎまぎする俺を見て「初心だなあ」と物珍しそうにするのはやめてほしい。

「まだ、あるよ?虫除けにもなるって私は思ってる」

「虫除けって?」

「チアキの、だよ。指輪してなくても、その爪見れば彼女持ちだって、察しのいい人ならわかるもの」

「……それって」

「うん、独占欲と他の女性への牽制。ほら、実益が計り知れないでしょ」

俺はどうやら、自覚していた以上に彼女に愛されている、みたいだ。

「それに、その爪を見てもまとわり付くような女性なら、チアキは自分で撃退できるって思ってるよ」

時に、彼女の物言いは真実や事実を語る場合、辛辣になる。
これは付き合い始めてから知った事だ。

「なあ、それ妬いてくれてるのか?」

「んー、想像したらちょっと不快になっただけ。
そーんなオツムの残念な女性がチアキに絡むって、嫌だなって思ったの」

「大丈夫、もし絡まれてもちゃんと撃退するよ」

「うん、信じてるよ」

彼女を抱き締めた俺の指先から香るのは、恐らくオレンジとラベンダー。
俺のリラックスを考えての彼女の配合なのに、嫉妬の香りみたいだなと思った。