likes and dislikes

【注意書き】

・END1または2を迎えた後の2人
・たぶん半同棲してる
・色々ネタバレ有(テレフォンや差し入れ、エンドレスモードでのやりとり含む)
・セクシャルな仄めかし僅かに有
・設定ふんわり

likes and dislikes

 

「それ、俺も食べてみたい」

トーストの隣に置かれた、ケーキみたいにカットされ、たくさんの具材の入ったオムレツらしい料理。
ブランチで彼女の皿に乗ったそれに、目を奪われた。
卵の黄色と、おそらくほうれん草の緑、何かの野菜の赤という、
彩りの良さのせいかもしれない。

彼女が俺のために用意してくれた別メニューも、もちろん美味しそうだ。
サンドイッチの具材はツナと玉ねぎ、サラダチキンと野菜たっぷりの二種類で、
苦手な食べ物が多い俺に気遣ってくれたのが、すごく有り難い。
それはそれとして、今日は彼女が時々食べてる料理がどうしても気になった。

「これチーズ入ってるけど、チアキ平気?
卵も苦手だったよね」

うーん、とちょっと考え込むように首を傾げた彼女が問うてくる。

「たぶん大丈夫だよ。そのチーズは匂いがそんなにしないし、
卵は君がしっかり火を通してるのは知ってるから」

「わかった、じゃあ取り分けるね」

「ありがとう。これは、何が入ってるんだ?」

「ツナと、ほうれん草と玉ねぎとじゃがいもとチーズとパプリカ。
軽く塩胡椒で味付けしてるけど、好みでケチャップかけても美味しいよ」

「へえ、たくさん具材が入ってるんだな」

まずは、何もつけずに食べてみる。

「うん、うまいな」

ケチャップも合いそうだけど、このままの味が好きかもしれない。
野菜の旨味と甘さ、ツナとチーズの塩気のバランスがいい。
それに、じゃがいもの食感がどっしり感を出してて、食べごたえがある。

「そう?口にあったんならよかった」

「ほんとうまいよ、これ。オムレツ、だよな?」

「スパニッシュオムレツ。
タンパク質も野菜も手軽に一度に摂れるし、大好きなんだ」

「これ、また食べたいな」

「そう?うん、また作ったら一緒に食べよう」

にこにこと笑う彼女に見惚れる。
俺用に別メニューを用意してくれる細やかさとは別に、
合理的で洗い物が少なく済むメニューを好む、なんて豪気なところがある。
以前アクアパッツァとブルスケッタを振る舞ってくれた時、
今日と同じく一度でバランス良く栄養が摂れるのが好きだと言ってた。

華やかで豪華なオムレツと、サンドイッチを分け合って
ゆったりしたブランチを二人楽しんだ。

その夜の事。

「いい匂いがする。なあ、そっちも食べてみたい」

「ええっ、キノコとアサリ入ってるよ?!大丈夫?」

「たぶん平気だと思う」

料理好きな彼女は、夕飯も腕をふるってくれて。
俺用にはチキンと小松菜と玉ねぎのクリームパスタを作ってくれていた。
そして自分用にと、複数の種類のキノコとシーフードとのオイルパスタを用意してた。
たぶん香りの主な発生源はキノコなんだと思うけど、それとは別に香ばしい、いい匂いがするそのパスタに惹きつけられる。

「ほんとに?エリンギとしめじと舞茸って、キノコ3種類も入ってるけど」

「食べてみたい。この黒いのって?」

「黒っぽいのは塩昆布っていうのと、海苔の佃煮入れたから。
うーん、じゃあちょびっと食べてみて、ダメそうなら無理しないでね?」

「わかった、ありがとう」

小さめの皿に取り分けられたパスタを、フォークで絡め取る。
噛みごたえのあるキノコの歯ざわりが心地よく、やっぱり香りもいい。
シーフードミックスを使ったというから、アサリだけじゃなくエビもイカも入ってて、彼女の処理がいいのか食感はプリプリで食べ飽きない。
それに、あまり食べたことのない海苔のツクダニ?も何となくホッとする味だった。
彼女によれば、ちょっと醤油を垂らしたぐらいで、後は塩昆布で味がまとまるそうだ。

「ブランチのオムレツもだけど、これも美味いよ」

「ほんと?無理してない、よね」

「うん、このキノコは食べられるし、香りもいい。
シーフードも美味かった。
それに、なんだか落ち着く味だな」

「ありがとう。チアキの好みに合ったんなら嬉しいな」

結局、どちらのパスタも2人でシェアして食べる事になった。
2種類のパスタを彼女と一緒に楽しめて、贅沢なひとときだった。
俺は洗い物を済ませた後、食後のお茶をサーブした。

「チアキ、そのうち好き嫌いなくなりそうだね」

2人並んでお茶を飲みながら、彼女がふわりと微笑んだ。

俺の好きな、笑顔。
それを間近で眺められる日常を送れるなんて。
以前なら考えもつかなかった。
今はもう、手放せそうにない。

「ああ、そうかもしれないな。こんなふうになると思わなかった」

「前から、ときどき私の食べるもの見てたけど。
克服しようと思ってたの?」

「そんな事ないけど……俺、そんなに見てたかな?
君が美味しそうに食べてるし、
一緒に同じものを食べたいって思ったんだ」

「ふふ、いいね。
同じもの食べて、美味しいねって言い合えるの、最高だもんね」

「俺も、君がしてくれるみたいに、苦手な食材が入ってない料理を作ってあげたりしたかったけど。
君、好き嫌いほとんどないんだもんな」

「そうだね、有り難い事にほぼなんでも食べられるから」

「なあ、手間じゃないのか?
俺のために別メニュー用意するのって」

「ううん、全然。
好きな人が美味しく食べられるもの用意するの、楽しいよ」

何でもないようにサラリと言った彼女に、目を奪われた。
ぶわっと顔に熱が集まって、頬が紅潮していくのがわかる。
それを見られるのが恥ずかしいのと、こみ上げた愛しさに抗えなくて
座ったまま彼女を抱きしめた。

「チアキ?」

「君は……俺をどうしたいんだ?」

これ以上なんてないと思うのに、毎日、毎時間、何なら毎秒。
どんどん君を好きになる。

「えーとね。そうだな、誰よりも幸せにしたいよ」

ほら、また好きを更新していく。

 

 

女神の肝臓と猫

・筆者の強めの幻覚です
・チアキ視点です
・チアキと主人公しか登場しません
・ENDは1か2の想定です(ふわっとしてます)
・かっこいいチアキは不在です
・コメディ寄りです
・エンドレスモードの無限会話いくつかを参考にしてます
・全年齢ですが男女関係の仄めかしや多少のイチャつきは有ります
・かっこいいチアキは多分書けません
※作中の飲酒の仕方や酒量は非推奨ですのでご留意ください。

女神の肝臓と猫

「君の肝臓はどうなってるんだ……?」

「それ100回は言われてきてる」

世界が回転してる。
いや、フワフワしている?
これは、どっちなんだろう。

俺がこんな事になってるのに、ああ、君ときたら。
『お水ちゃんと飲んでる?だいじょうぶ?』なんて、
小首を傾げながら俺を気遣う様はさながら女神みたいだ。
優しい。尊い。肌も唇も艶々してて、キスしたい。

「チアキ、ほらお水飲んだ方がいいよ。首まで真っ赤」

「まだ大丈夫だ、君こそ」

飲みすぎじゃないのか、と言いかけて、彼女を見てある事に気づいた。

「……顔色、変わってないな」

「それもよく言われる。体質なんだよね」

ここは彼女の家で、今は週末の夜だ。
今夜は俺と飲むからとリラックスした格好になってて、
つまりメイクも落としてる。
無加工の涼しい顔でサラッと頷かれて、はあとため息が漏れてしまった。

彼女はずっとこうだ。
あまり普段から不機嫌でいる事はない人だけれど、
飲み始めてからはずっと、いつにも増してニコニコと上機嫌で。
どの酒もまるで、ジュースか水かで喉を潤すように、
すいすいと美味しそうに飲んでいた。

(そんなに度数が高くない酒なんだろうか?)

つられるように、俺も杯を重ねた。
何でもない事のように、おそらく無自覚に相当なハイペースで飲んでいる彼女に、酒が弱いと思われたくなかった見栄もある。
複数の種類の酒と、彼女が軽くつまめるようにと用意してくれた軽食とがマッチして、俺も今に至るまでにかなりハイペースで飲んでしまった。
しかも、彼女が一緒に飲もうと買ってきた紫蘇の焼酎は美味いが度数が高い代物で、それを二人で1瓶、あっさり空けてしまったんだった。
一升瓶ではなくて720mlのものだが、それでもそれなりの量だ。
俺はもうほろ酔いを通り越して、ちょっと朦朧としかけてる。
対する彼女は、顔色も健康的で、機嫌よく穏やかな笑顔のままだ。

(……もういい、彼女がアルコールに強いのはよく分かった)

だけど、一般的な尺度に於ける適正な酒量はとうに過ぎてるはずだ。
まだまだ飲みそうな彼女だが、これは止めた方がいい。

「あっ、チアキどこ行くの?ちょっと、大五郎抱えたら危ないよ!」

俺は、彼女が先程封を切った異常にでかいペットボトル(4リットルだったか?)を抱え込み、立ち上がろうとして失敗し、足をもつれさせてしまった。
ぺたんとその場に臀を落としながら、それでも彼女に宣言した。

「これ以上は飲ませないぞ……」

「わかった、わかったから。もう飲まないから、ねっ?
チアキ、目据わってるよ」

「おれのことはいいんら」

なんだか呂律が回らない。
天井は回ってるのに、これはおかしい。

「とりあえず、その大五郎のボトルは離そう?
もうキッチンにしまってくるから、ね?貸して」

優しく言い聞かせるような口調がまるで子供に向けてのそれで、俺はむっと口を噤む。

「こどもあつかい、しないれくれ。おれはおとなだ」

「あー、うん。ごめんごめん。言い方悪かったよね、
チアキは大人だから、私とお酒飲んでくれたんだもんね」

「そうら」

わかってるじゃないか。

「きみ、きょうはどれらけのんらんら?」

「ええと、缶チューハイ3つとビール1缶。
今日買ってきた焼酎はボトルの半分は飲んだかな?
あとはワイン1杯と、大五郎はまだロックで2~3杯だよ」

「のみすぎらろ……」

いや、及ばずながら俺も彼女と似た酒量ではあるんだけど。
そもそも、ものの2~3時間で焼酎が1瓶なくなるのはおかしい。
その他にも、色んな種類の缶が複数消費されてるし、
挙げ句に彼女は「飲み足りない」とか言ってストックしてるらしいあのでかいペットボトルの焼酎を出してきて飲み始めるし。
この量はおかしいと、彼女にも認識して欲しい。

「まだ限界までは飲んでないんだけどなあ」

のんびりとした口調なのに恐ろしい内容の呟きを耳が拾い、俺は両手で頭を抱えた。
その隙に、彼女は俺の膝にあった酒のペットボトルを取り上げて、キッチンに行ってしまった。
途端にくたりと身体の力が抜けてしまい、俺は床に横倒しに寝転がった。
程よくひんやりしたフローリングが頬にあたって気持ちいい。

「あれ、チアキ寝ちゃった?ああ、起きてるね」

「つめたっ」

ピタッと床につけてるのとは反対側の頬に何かが押し当てられた。
床と違ってかなり冷たい。

「お水だよ。今のチアキ、グラスだと零しそうだからペットボトル持ってきた」

「そんらこと、ない……のめる」

「うんうん、そうだね。身体、起こせる?」

いなすようにちょっと適当な相槌を打たれたのにまたむくれかけたけど、
なんとか上半身を起こした。
彼女に渡されたペットボトルの水を煽り、喉が乾いていた事に気づく。
ソファに腰を下ろした彼女が、ホッとしたように微笑んだ。

「よかった。お水、飲めたね」

「こどもあつかい、しないれくれ」

「そういうつもりじゃないんだけどなあ……ごめんごめん。
お水で体の中のアルコール濃度薄めておいた方が、明日がラクだからね。
飲んでくれてよかった、って思ったの」

「きみ、おれがよっぱらってるとおもってう?」

相変わらず口が回らない。
眠気で思考に靄がかかり、まぶたもちょっと塞がりかけてる。
自分でも酔ってると自覚しながら、俺は彼女に何を訊いてるんだろう。

「いや、まあ……はい」

「おれは、よったきみがみたかった」

「えっ」

「よって、ふわふわするきみがみたかった。
そういうきみから、あまえられたり、しないかなっておもってたんだ」

ずるずると、這うように移動してソファに掛ける彼女に膝立ちで向かい合う。
きょとんと首をかしげた仕草が愛らしい。
衝動のままに、彼女の腰に両腕でむぎゅうと抱きついた。

「ち、チアキ?」

「……それなのに、きみはすずしいかおして。
おれだけこのざまだなんて」

「ねっ、ねえくすぐったい!」

抗議の悲鳴が聞こえたが、おかまいなしにぐりぐりと額を柔らかい太腿あたりに擦りつけた。

「きみからあまえられたかったのに。これじゃ、ぎゃくだ……」

「私、結構甘えてるつもりなんだけどな。それに、逆でもいいんじゃない?」

「よくない……きみには、かっこいいっておもわれたいのに」

するりと、後頭部に温かい指が滑り落ちた。
跳ねた毛先を指に絡めるような仕草が、慰撫するようなやさしい撫で方にだんだん変わっていく。
それが、うっとりするぐらい気持ちいい。

「いつも、かっこいいよ」

柔い、あえかな声音が耳元に吹き込まれて、背筋にゾクゾクと甘い戦慄が走った。

「きみは、ずるい……」

「ずるいかな?よくわからないけど」

くすくすと、忍び笑う彼女の声が心地いい。

いいところを見せたいのに、
甘く囁いて、朱に染まる頬を見て悦に入る、俺だけの特権を味わいたいのに。
さらりと彼女にしてやられて、俺の方が赤面してるなんて。
格好悪いし恥ずかしい。あと、殺し文句を言われて面映い。
……けど、もっと君にしてやられてみたい気もする。

「うぅ」

アルコールで溶けた思考はまとまらなくて、ついでに言葉にもならなくて。
奇妙にひしゃげた呻き声になって、唇からこぼれた。
先程よりちょっと手加減して、彼女の身体に額を擦り寄せた。

「チアキ、猫ちゃんみたい」

「ねこじゃ、ない……きみのねこになら、なりたいけど」

そこまで言って、ふっと気が遠くなるのを感じた。
うん、わかってはいるけど、明らかに彼女のペースに合わせて飲みすぎた。

「え、チアキ?ねえ、チアキ?」

焦った声で呼ばれた気がしたけど、温もりと彼女の柔らかさが心地よくて、
抗いがたい眠気に俺は身を任せていた。

――翌朝。

ソファに突伏するように眠ってた俺には、ブランケットが掛けられていて。
どうにか俺のホールドから脱出したらしい彼女は、シャワー帰りなのか
濡れた髪をフェイスタオルで拭きながらリビングに入ってきた。

「あ、起きてる。おはよう、チアキ」

「おはよう。昨日、ごめん。重かったよな?」

「ふふ、いいよ。足痺れたから、抜け出しちゃった」

「本当に、ごめん……うっ」

「わわ、大丈夫?無理しないで」

正座をして、勢いよくバッと頭を下げたらひどい頭痛が走った。
思わずこめかみを抑えたら、彼女に心配されてしまった。

「宿酔いかな。お味噌汁作ったから、大丈夫そうなら飲んで?
鎮痛剤も飲んだほうがいいよ」

「なんだか、手慣れてるな……」

「いっしょに飲む友達の介抱で慣れてるからねー」

「これからは、俺だけにしてくれる?」

「えっ。なにを?」

「こんなふうに介抱するのは、俺だけにして?」

立っている彼女の片脚に腕を絡めて、太腿に口づけた。
部屋着で素肌が覆い隠されてるのが惜しいと思った。

「ねえ、チアキ。まだ酔ってたりする?」

「かもな。宿酔いだし」

心配と、ちょっとからかうような色の混じる彼女の声。
たぶん、昨日酔った俺が彼女の腰にぎゅうぎゅう抱きついた事を思い出したんだろう。
普段はあんな、力任せで勢い任せな、不格好な真似はしない。
もっとソフトに、スマートに抱きしめてる。はずだ。

「……しょうがないなあ、わかったよ。
でも、次はチアキが酔っ払いすぎちゃう前に止めるね」

細くて長い指がそっと伸びてきて、額から後頭部にかけて静かに髪を梳かれた。
気持ちよくて、思わず目を閉じてしまう。
なんだろう、昨日から(正確には俺が酔ってグダグダになってから)
何くれとなく彼女が俺の世話を焼いて構ってくれて、
ちょっと無茶な事を言ってもだいたい肯定されて、心身共にとても満たされてる。

本当は、アルコールで蕩けた彼女と甘い夜を過ごしたい気持ちもあったんだけど。
やさしい心地いいリズムで頭を撫でられているのが、どうにも心地よくて、
その欲求は今オフモードみたいだ。

(……宿酔いにならないと、こんなふうに構ってはもらえないのかもな)

なんだか寂しくなって、温かい指先に額を擦り付けると、
旋毛にやさしいキスが降ってきたので、俺の不安や寂しさは一瞬で霧散した。

まるで、女神の手のひらで転がされてる猫にでもなった気分だった。

Kiss Me

・エンディングの直後~スチルの二人に至るまでの行間の妄想です(捏造過多)
・チアキ視点です
・END1または2のつもりです
・元相談員の性格は原作と印象離れてます(ドライで冷静)
・全年齢ですが男女関係の仄めかしは有です

Kiss Me

「少し、歩こう」

彼女から向けられた視線と言葉に、俺は頷いた。
繋いだ俺の手を引いて、彼女は歩き出した。
墓地と教会を背に、ふたり手を取り合ってどこまでも続くかのような道を歩いていく。

どこか、現実感が置き去りで心が浮ついていた。
孤島にいた時、あれだけ焦がれた彼女にこうして触れてる。
今日ここに来て、もし会えれば……と思っていた。

(会えた後に、どうするかってあまり考えてなかったな)

もし今日会えなかったら、別の機会と場所とを窺って、
絶対に君を探し出しはしただろうけど。

手を繋いで歩く、その何気ない事が当たり前ではなさすぎて、胸がいっぱいで。
自分の気持ちと、掻い摘んだこれまでを伝え切った俺の言葉は途絶えていた。

同じ歩幅でしばらく歩いて、やがて彼女が前を向いたまま呟いた。

「最初に、話しておきたい事があるの」

「どんな事?」

促した俺を、透明な眼差しが射抜く。
その双眸に宿るのは、怒りでも、嘆きでもなく。
凪いだ海のような静けさだった。

「あの事故の事。偽装じゃないかって、ずっと思ってた」

静かな語り口で言い切られて、俺は瞠目した。
予想していなかった言葉に、紡ぐ言葉が上ずる。

「そう、なのか?それは意外だな」

「でもね、全部疑ってたんじゃないよ?
40%くらいは本当かもしれないとも思ったの」

「60%は疑ってたって事か?」

「そうなるね。あの時の状況と、チアキの境遇とを照らし合わせたら、あれが偽装でどこかで生きてるのも有り得ない話じゃないって考えてた。
それでもね、さすがに河内さんから連絡受けた後はショックで。
何ヶ月か、抜け殻みたいに暮らしてたよ」

「……本当に、悪かった」

「責めたつもりじゃないの、ごめん」

侘びた俺を上目遣いに見上げた彼女が、苦笑がちに眉尻を下げた。

「私なりに色々考えて、チアキを探すのはやめておいたの。
河内さんにこの件を問い合わせるのも、盗聴されるかもしれないし控えたよ。
普段の生活も送らなきゃならないし、素人の私がチアキの痕跡を探すって、きっとすごく難しい上にリスキーだしね」

「君の選択は正しいよ。無茶しないでくれて、本当に良かった」

「うん。それでね、これは本心からだけど、私にチアキを責める気はないんだ。
あなたの自分勝手なんて、今に始まった事じゃないし?」

「君なあ、言い方……って、俺が言えた事じゃないか」

眉を寄せた俺を見て、彼女がニヤリと笑う。
これは、からかわれてる。
いや、からかう体でたぶん、慰められてる。

「だから、この件でもう謝らなくていいよ。
事故の件をどう受け止めてどうしたかっていうのは、
私の事情と感情だもの」

「俺には、関わらせてくれないのか?俺の事なのに」

「うーん、ちょっと違うの。そういうつもりじゃなくてね。
ただ、私の感情も事情も私のものでしょう。チアキのじゃないよ」

「そうか……。そう、だな」

「そういう事。過去よりも、未来の話をしない?」

サァッ、と草を巻き上げて風が流れていく。
穏やかに晴れ渡る初冬の空と、草原と、黒を纏う彼女のコントラストに俺は目を細めた。
色白のあたたかな手が、繋いでいるのとは反対側の手を取った。
俺の両手を握った彼女が、正面から俺に向かい合って、微笑んだ。

「私は、チアキが好きだよ」

今度こそ遮らずに、彼女の言葉を受け止めた。
本当は、ずっと聞きたかったその言葉を全身に染み渡らせる。

「ありがとう」

「あとはそう……あの時の、愛さないって言葉。
私には愛してるにしか聞こえなかった」

「君には、何も隠し通せないんだな」

本当に、彼女には何も隠せない。
隠そうとしても、君の眼差しが、まっすぐな心が全てを看破してしまう。

「そうかもね。チアキの事なら、わかりたいって思うからかな。
それでね、抜け殻から立ち直って、今日は区切りをつけようってここに来たの。
どこにいたとしてもチアキを諦めない、って私の区切り」

「うん……君らしい気がする」

あたたかい両手を握り返す。細い指の感触がくすぐったい。
一歩こちらに踏み込んだ彼女が背伸びをして、首を傾けたかと思うと、俺の唇にやわらかくキスを落とした。

「!」

眼を閉じる間もなくもたらされたそれに、頬が熱くなる。
こんな心のこもったやさしいキス、受けた事なんてない。

「チアキ、顔赤いよ?」

くすりと彼女が笑いを零す。
ああ、今ので確信した。
きっと、情緒面の恋愛経験値は彼女の方が勝ってる。
と思うと同時に、彼女のこれまでの相手の事を想像してしまい、妬ましさと焦燥が湧いた。

「あまり、意地悪しないでくれ」

俺の口から漏れたのは、明らかに嫉妬やら戸惑いが入り混じった拗ねた声で。
我ながら恥ずかしくなった。

「嫌だった?」

「そんなわけないだろ」

正直、彼女から与えられるのならどんな態度でも言葉でも、
俺に向けられたものならきっと何でも喜んでしまう。

「ん。なら良かった」

今度は、右手の平、傷跡の残るそこにキスを贈られた。
俺の両手を繋ぎ直して、彼女が視線をさまよわせてぽつりと告げる。

「なんだか、こうしてても実感湧かないや。
ガラス越しの時間が長かったからなのかな」

「それはそうかもしれない。それに、1年離れてたんだ。
いきなり現れた俺に、実感が持てなくても仕方ないよ」

「そうだね。あとは、チアキが生きててくれて嬉しくて、
本当は今、どうにかなっちゃいそう」

おどけたように笑う彼女の腕を引いて、抱きしめた。

「俺も、生きて君にまた会えてこうして触れられて……
嬉しくてどうにかなりそうだ」

「うん」

背に回された腕が、抱き返してくれた。
あたたかい。

「ねえ、チアキ。今日、あなたと抱き合う事もできるけど」

「っ!」

ひそめた声音で、艶めいた言葉を耳に吹き込まれて、肩が跳ねた。

「ただね、私はもっと手を繋いだり、キスをしたり。
あなたの温度が当たり前になってから、深く触れ合いたい。
それでも良ければ、私と恋人になってほしいの」

「……本当に、君には敵わない」

俺と彼女との間にあるのは、あの孤島での特殊な環境下で芽生えた恋慕だ。
それを燃え上がらせるのではなく、暖炉の火のようにあたためていきたいのだと、たぶん彼女は思ってくれている。

「嫌、かな?」

「嫌なわけない。どうか俺を、君の恋人にして?」

甘えるような、懇願するような色の滲む俺の声音に、
嫣然と微笑んだ彼女は頷いてくれた。

「もちろん。ねえ、今日はこのまま駅の近くのカフェに行かない?
そこで連絡先を交換して、次に会う約束をしたいな」

「いいよ、もちろん。ところで、君は明日も休日?」

偶々、今日はカレンダー上の休日だ。
だからこれは、わかっていて敢えて訊いた事。

「うん、そうだけど」

「明日も、君に会いたい」

本当は、一瞬ですら離れていたくなんかないんだ。
だけど今それを乞うのは、現実的じゃない。
だから、赦される範囲で君に願ってしまう。

(どうかその声で、その唇で、俺の願いを叶えて欲しい)

自分がこんなに強欲だったなんて、君に会うまで知らなかった。

一瞬きょとんとした彼女は、やがてくすくすと軽やかに笑い声を上げた。

「やっぱり、なんていうかチアキだなあ……
いいよ、明日も会おう?」

「それから、もう一度君から俺にキスして」

「いくらでも」

甘く肯定されて、どうしようもなく胸が騒いだ。
頼むから、君がこんなふうに甘やかす相手は俺だけであってほしい。

コーラルピンクの爪に彩られた十指が、ゆっくりと俺の両頬を包み込む。
上唇をついばむようにひとつ、前髪を掻き分けた額にひとつ、
かたちを辿るように唇に何度も、何度も。

「ねえチアキ。生きていてくれて、ありがとう」

祝福のキスが、やさしく降り注いだ。