purgatorium

・島を出た後の二人(どのENDでもありません)
・チアキ視点
・主人公に特殊な独自設定あり
・軽度ながら暴力表現あり
・捏 造 過 多
・細部はフワッとしてます
・END3のIFのようなイメージですが闇深めです
・色々特殊なので何でも読める方以外閲覧非推奨です

 

 

だからその手を離して

だからその手を離して

 

ユーゴの墓標の前での再会。
エモーショナルな場面のはずだが、振り返った彼女は驚くそぶりなく俺を一瞥して、髪を掻き上げた。

「……驚かないんだな」

「そうだね。私はチアキの知ってる”私”じゃないの」

それは、奇妙な言葉だった。
そして、この場には何だか似つかわしくない気がする。
ひたと俺を見つめる彼女は、あの島で、離れた後で狂おしいほど焦がれた姿と相違ない。
それなのに、どこか透明で手が届かないような感じがした。
奇妙に胸がざわつき、心拍が上がる。
これは、緊張によるものだ。

「君は……君だろ?俺を、助けてくれた」

「あの島にいた私は、今の私とは違う。
都市部で働いて時には帰宅の遅くなる、どこにでもいる平凡な成人女性。
チアキを見つけたそういう”私”は私じゃない。あれは、ただの設定だから」

「設定?」

「あの時期は待機期間だった。私の『勤め先』の指示で、”私”に扮していただけ。
しばらくしたら本来の仕事に取り掛かるはずだったのが、あの夜で全て狂ったの」

「それは、もしかして俺のせい?」

「正確には違うけど、きっかけはチアキと会った事だね。
あの島は治外法権で、不自由だけど自由でよかったよ。
離島だから『勤め先』もこっちに手が出せなかったし。
できるわけないけど、ずっと居てもいいくらいには好きだった。
……今日、ここにはね、仕事を辞めてから来たの」

「君が、仕事を?」

口の中が異様に渇いて、オウム返しに彼女の言葉を反復する。
だめだ。思考がまとまらない。

この女性は、俺の知ってる彼女であり、その彼女ではない。
それだけは確かなようだった。

「今日、チアキとちゃんとお別れするためにね。
……もう想像ついてるかもしれないけど、私は完全に闇の住人だよ」

彼女の表情にはどんな感情も宿ってなくて、瞳は昏く光を無くしていた。

その様子は、彼女の言葉が真実であると裏打ちしているかのようで。
数歩こちらに踏み出してきた彼女の手を、反射的につかんだ。
黒で統一された衣服の下、柔らかな肌と温かい体温を感じる。
俺の片手に収まってしまう華奢な手に、初めて触れたときめきよりも、違和感が勝った。

(足音が、しなかった)

草を踏む音、土を蹴る音、かすかでもそれらのどれかの音は普通、するはずなのに。

あの島で、たまに遅れて面会室に「ごめんなさい!」と駆け込んでくる彼女は、パタパタと軽い足音を立てていた。
それに、面会室のある建物を出て宿泊施設へ戻る姿を見送った時も、後ろ姿とかすかな足音を名残惜しく何度か見送った事がある。

あれは、全てが演技だった?
足音も、仕草も、邪気など全く感じない屈託のない表情も、あの全てが創り上げられたもの?
馬鹿馬鹿しい。そんな事あるはず、ないじゃないか。

「黙って辞めてきたから、明日か5分後には頭が吹き飛んで死ぬかもしれないね」

「やめてくれ!」

天気の話でもするみたいにひとりごちた彼女を、強く遮った。

「ああ、ごめんなさい。こういう話、嫌だよね。
でもね、私はそういうのが日常の世界で暮らしてきたし、その枠の中で死ぬ。
それが、明日か5分後か、数年後かの違いなの」

「……君は」

「私は、チアキが好きだよ。それは本当。
今の私も、島での私も貴方が好きなのは変わらない」

「っ」

「お願い、手を離して。私と居たらダメ。貴方ならわかるはずでしょう」

「でき、ない」

ぎゅうと、すがるように華奢な手を握りしめてしまう。
ミシリと骨に食い込む音が聞こえるかのようだ。
痛みがあるはずなのに、彼女はまるで意に介してないように淡々と言葉を紡ぐ。

「チアキを好きな私のままで限界まで生きて、
闇の世界からは離れた場所で逝きたいの。
それが、今の私の心からの願い」

「俺は、」

「ねえ、チアキ。お願い」

待ってくれ。君のそんな甘い声を、今ここで、こんな場面で聴くなんて。
そんな優しい甘えるような蕩けた声、あの島でも電話でも聴いた事なんてない。

動揺する俺に、彼女は感情の凍った声音で死刑宣告をくれた。

「だからその手を離して」

 

 

それでもこの手を離さない

それでもこの手を離さない

 

俺は、かぶりを振った。
そんなつもりはないけど、眉の寄った険しい表情になっていたかもしれない。

「できない。今君の手を離したら、二度と会えないだろ」

「それは……そうだね。最初からそのつもりだったし」

それは、俺の空の墓標に別れを告げて、ひとり姿を永遠に消すつもりだったという事に他ならなかった。
この彼女なら、俺の生存の可能性に気づいていたかもしれないのに。

「君は、ひどいな」

「そう?お互い様じゃない」

くすりと、彼女がひとひらの笑いをこぼした。
大人の女性らしい落ち着いた笑い方は、彼女本来のそれなのかもしれない。
あの島での、いとけない朗らかな彼女は本当に、この”彼女”が扮していただけのもの?
胸がギュッと痛くなった。
いや、あの彼女もこの彼女の一部ではあったはずだ。
それに、こうして対峙して触れてしまえば、やはり彼女と離れたくないと強く思う。

「私、乱暴なのは好きじゃないの」

「……ごめん。痛い思いさせて」

彼女の手をきつくつかんだままだった。
それでも離すわけにはいかないから、ほんの少しだけ力を緩めた。

「そうじゃなくて、私がこれからする事の話だよ」

困ったように、彼女が眉尻を垂れ下げる。

「どういう……ぐぅっ!?」

「ごめんなさい」

ゴッ、という音と共に、みぞおち付近にかなり強烈な振動を浴びた。
叩き込まれたのが彼女の拳だと、地面に崩れ落ちてから知った。
彼女の利き手らしい握り込まれた右手には、何かの金属がはめられていたが、それが何だか知る術はない。

「こうでもしないと、離してもらえなかったから。
最初で最後だけど、痛い思いさせてごめんなさい」

小さく頭を下げた彼女は、眉を下げた困り顔のまま俺に微笑んで、踵を返した。

髪がふわりと風に靡いた。
場違いだけど、それを『美しい』と思った。

ああ、後ろ姿だ。
今日声をかけるまで、じっと眺めていた姿。
それを眼に映しながら意識を飛ばしかけて、二度と会えない可能性に思い至った。


(嫌だ!!!)


「っ、えっ!」

「かないで、くれ……」

地面に倒れ込んだまま、限界まで手を伸ばして彼女の踵にやっと触れた。

「うそ、どうして」

「おねがい、だ。俺から、はなれないで」

「……私、腕が鈍っちゃったかな」

普通は気絶するのに、と当惑した呟きが聞こえる。
もちろん撲られた箇所は猛烈に痛いし、正直気絶しかけたけど、たぶん彼女は場所を少し外したんだと思う。
それが俺への恋慕なり情なり執着なり……いずれにしろ、俺に向けられた感情ゆえであったら、嬉しい。

「行かない、で」

「でもね、私と一緒にいると物騒な事ばかりだよ?
また痛い思いもするかもしれない」

「……そんなの、いい。どうだって」

「今の私は、島にいた時の
『お人好しで屈託なくて、ちょっと抜けててすぐ赤くなるような感情豊かな』
私じゃないよ。それなりに賢しくて手も口も回って、荒事と汚れ仕事が生業。
それが私」

「君じゃないと、いやだ」

「……一緒にいるなら、『勤め先』は変えるけど仕事は前と同じままで、
護るために私はチアキの事をどこかに閉じ込めると思う。
また囚われの身に逆戻りしちゃうんだよ。普通の生活なんてもうできなくなる。
それで、貴方はいいの?」

「君なら……構わない。一緒にいたいんだ」

「今なら、戻れるよ。その手を引っ込めて、目を閉じたら、
次に起きた時には私は消えてるから。これが最後のチャンス」

「いやだ……離さない」

――じゃあ、地獄の底の底までずっと一緒だね。

そう囁いた彼女に、そっと抱きしめられて俺は意識を手放していた。
きっと、次に目覚める時には彼女の檻に抱かれて、愛されて眠る。
そんな日々が始まるんだろう。

君が君でさえいてくれれば、いい。
どんな事が起こっても
君がどんな人であっても、
それでもこの手を離さない。