【注意書き】
・END1または2を迎えた後の2人
・たぶん半同棲してる
・本編ネタバレあり
・喧嘩→仲直りします
・セクシャルな仄めかしあり
・設定ふんわり
「ねえ。そうやってチアキの機嫌、私に取らせようとしないで。」
冷たい一瞥とひどく平坦な声音を寄越した彼女は、踵を返して玄関へ向かった。
彼女が俺の前から立ち去ろうとしている。
その事実に、頭から氷水をかけられたかのように、ザッと体中から血の気が引いた。
「どこに行くんだ?!」
「近所のカフェ。……ごめん、ちょっとひとりで頭冷やしたいの。ちゃんと戻るから」
背中を向けたままそう言って、フラットシューズを引っ掛けるように履いて出ていく後ろ姿を俺は呆然と眺めるしかなかった。
こうなったきっかけは、つまらないものだ。
来月の連休中に彼女が予定を入れた。
と言っても全日ではなく、中1日だけ友人と出かけるのだという。
「友達が久々に誘ってくれて、チケット取ってくれててね。今から楽しみ」
ニコニコと上機嫌の彼女と反比例して、俺の気分はひたすら下降していた。
「へぇ、よかったな」
「チアキ、声が全然よかったなって感じじゃないよ」
友人と出かける、それはいい。
彼女にも付き合いというものがあるだろう。
社会生活を送る上で、俺だけにかまけてるわけには行かないし。
友人は大事にするべきだ。
でも、連休中は一緒に過ごせると期待してたところに肩透かしを食らったのは、面白くない。
さらに、行き先が本当はすこぶる気に入らない。
彼女が学生時代から好きなアーティストのライブに行くのだという。
これが、男性5人のバンドで人気も知名度もあり、全員容姿が整っている。
俺達よりやや年齢が上の世代だ。
(彼女は本当は連中みたいに年上で容姿が良くて、
才能にも恵まれてるような男が好きなのかもしれない)
こんな事をつい考えてしまって、胸が掻きむしられるようだ。
くだらない思考は追いやって、にこやかに送り出してやりたい。
そう思うのに、俺の声色と言葉は尖っていくばかりで。
「そんな事ないと思うけど?
だいたい、俺の声色なんて君の受け取り方の問題じゃないか」
「またそういう……。
相談しないで予定入れちゃったのは、ごめんね。それは私が悪かった。連休、楽しみにしてくれてたんだよね」
「君の気にする事じゃないよ。俺の事なんてほっといて、好きに楽しんでくればいい」
彼女は謝ってくれたのに、つい刺々しい言葉ばかり連ねてしまった。
こんな事が言いたかったんじゃないのに。
そしてキレた彼女に冒頭のセリフを投げて寄越され、今に至る。
(気を使って謝ってくれたのに、あんな言い方はないよな。それに、勝手に期待してたのは俺なのに、謝らせてしまった)
お互いの、連休についての認識の擦り合せ不足も良くなかった。
後悔が押し寄せる。
ぺたりと、玄関のラグマットにしゃがみこんで俯いた。
彼女と半同棲状態になってからそれなりに月日が経ったけれど、今日みたいな事は実は初めてじゃない。
たいてい俺が何かしらで気を揉んで、彼女に当たるような物言いをしてしまう。
それを彼女が宥めてくれて、俺が謝って終わる。
それがいつもの流れで、年中行事のようになってた。
(いい加減、愛想を尽かされたかもしれない)
ぞっと背筋が寒くなる。
彼女が本気で怒ったところは、初めて見た。
(彼女に捨てられたら、俺は)
足元から崩れていくような気がした。
彼女が俺の隣からいなくなる。想像するだけで無理だ。
居ても立っても居られず、リビングに駆け込んでテーブルの上の端末を手に取る。
『カフェにはもう着いた?
今日冷えるのに、上着も着ないで出たから心配だ』
画面をタップしてとりあえずそうメッセージを送った。
アプリの着信音が鳴り、彼女からの返信が来る。
『もう着いたよ。店内空調効いてるから大丈夫。
1~2時間で戻るから心配しないで』
怒らせたのにメッセージは返してくれる彼女は、改めて優しい。
(時間を見計らって、迎えに行こう)
俺は、重いのかもしれない。
恋愛の傾向というか、彼女への気持ちや行動というのが、たぶん重い方だと思う。
今だってほんの10分程度離れただけで顔が見たくなるし、彼女の告げた1~2時間が永遠みたいに感じる。
嫌われたんじゃないかと、不安でたまらない。
遅くなると連絡をもらって、待ち切れずに勤務先近くまで迎えに行くのも高頻度でやってしまう。
今まで彼女はこういう俺を笑顔で、或いは仕方ないなあと言いながら何だかんだ受け入れてくれてたから、甘えてしまった。
でも、わからない。
ちゃんと好きになったのも恋人になったのも彼女が初めてで、どう付き合っていくのが正解かなんて知らない。
焦燥感を抱えたまま、俺は1時間半を過ぎたら迎えに行く事に決めて、じっと時がすぎるのを待った。
やがて決めた時間が来て、俺は彼女のいるカフェに向かった。
徒歩10分のカフェは、普段から彼女とよく来ている場所だ。
迷いようもなく辿り着いて、建物の外からアプリでメッセージを送ってみた。
『迎えに来たよ。君の姿、ここからだと見えないな。どの辺りにいるんだ?』
『喫煙席だから、奥まったところにあるの。今片付けて外出るから、待ってて』
喫煙席?
彼女が煙草を吸うところなんて、見た事がないし匂いも感じた事がない。
ずっと一緒にいたつもりでも、知らない顔も知らない事もまだ、あるんだな。
脳内でそんな疑問を反芻してると、軽い足音と共に彼女が現れた。
まっすぐにこちらを見てくる瞳には、怒りの色は浮かんでなかった。
「迎え、ありがとう。ごめんね、チアキにキツい事言っちゃったから、頭冷やしたの。
ついでに、今日は久々に喫煙席でゆっくりしてきたよ」
「俺が悪かった。本当にごめん。君、煙草吸うんだな。知らなかった」
「家では吸わないよ。仕事の休憩中に、たまに電子煙草吸うの。
本当はやめようと思ってるんだよね、チアキと長く一緒にいたいしさ」
「え、俺?」
「うん。だって、私達ずっと一緒にいるんでしょ」
禁煙できたら褒めてねー、なんて何でもなさそうに笑って言って、彼女は俺より先に歩き出す。
歩幅を合わせて追いつくと、そっと伸びてきた指先が俺の手に絡んで、恋人繋ぎで手を繋ぐ形に落ち着いた。
数分、無言だった彼女が口を開いた。
「あのね、色々とごめん。サプライズでチケット取ってもらえて、嬉しくて舞い上がっちゃって。
チアキに気遣いできてなかったのは、ほんと良くなかったよ」
「そんなのいいんだ、普段君から大事にされてるのは、すごく感じてるから。
俺が勝手に嫉妬して、嫌な態度取ったのがいけないんだ」
「え、嫉妬って?」
「君、やっぱり気づいてないのか……。
君の好きなバンド、格好いい奴ばかりじゃないか。嫉妬しない方が無理があるよ」
「私がチアキよりもバンドの人達の方が好き、みたいに思っちゃったの?
そんな事ないよ。私が大切なのは、チアキだよ」
「わかってる。ただの、子供っぽい嫉妬だよ」
ぎゅう、と彼女の指に力が込められた。俺を離さない、と言ってるみたいに。
「ねえ、チアキ。ルール、決めておこう?また喧嘩しても、仲直りできるように」
「うん、俺もそうしたい。どんなルールにするんだ?」
「喧嘩して、どっちかがその場から離れたら、残った方は迎えに行くの」
「うん、それから?」
「迎えに行った帰り道は、手を繋いで帰ろう?今日みたいに」
「うん。俺も、それがいい。あと、」
チュ、と一瞬かすめるだけのキスを唇に落とす。
『帰ったら、この続きがしたい』
そう囁いたら、彼女の耳朶がほわりと朱を刷いたのが、たまらなく愛おしかった。