・エンディングの直後~スチルの二人に至るまでの行間の妄想です(捏造過多)
・チアキ視点です
・END1または2のつもりです
・元相談員の性格は原作と印象離れてます(ドライで冷静)
・全年齢ですが男女関係の仄めかしは有です
「少し、歩こう」
彼女から向けられた視線と言葉に、俺は頷いた。
繋いだ俺の手を引いて、彼女は歩き出した。
墓地と教会を背に、ふたり手を取り合ってどこまでも続くかのような道を歩いていく。
どこか、現実感が置き去りで心が浮ついていた。
孤島にいた時、あれだけ焦がれた彼女にこうして触れてる。
今日ここに来て、もし会えれば……と思っていた。
(会えた後に、どうするかってあまり考えてなかったな)
もし今日会えなかったら、別の機会と場所とを窺って、
絶対に君を探し出しはしただろうけど。
手を繋いで歩く、その何気ない事が当たり前ではなさすぎて、胸がいっぱいで。
自分の気持ちと、掻い摘んだこれまでを伝え切った俺の言葉は途絶えていた。
同じ歩幅でしばらく歩いて、やがて彼女が前を向いたまま呟いた。
「最初に、話しておきたい事があるの」
「どんな事?」
促した俺を、透明な眼差しが射抜く。
その双眸に宿るのは、怒りでも、嘆きでもなく。
凪いだ海のような静けさだった。
「あの事故の事。偽装じゃないかって、ずっと思ってた」
静かな語り口で言い切られて、俺は瞠目した。
予想していなかった言葉に、紡ぐ言葉が上ずる。
「そう、なのか?それは意外だな」
「でもね、全部疑ってたんじゃないよ?
40%くらいは本当かもしれないとも思ったの」
「60%は疑ってたって事か?」
「そうなるね。あの時の状況と、チアキの境遇とを照らし合わせたら、あれが偽装でどこかで生きてるのも有り得ない話じゃないって考えてた。
それでもね、さすがに河内さんから連絡受けた後はショックで。
何ヶ月か、抜け殻みたいに暮らしてたよ」
「……本当に、悪かった」
「責めたつもりじゃないの、ごめん」
侘びた俺を上目遣いに見上げた彼女が、苦笑がちに眉尻を下げた。
「私なりに色々考えて、チアキを探すのはやめておいたの。
河内さんにこの件を問い合わせるのも、盗聴されるかもしれないし控えたよ。
普段の生活も送らなきゃならないし、素人の私がチアキの痕跡を探すって、きっとすごく難しい上にリスキーだしね」
「君の選択は正しいよ。無茶しないでくれて、本当に良かった」
「うん。それでね、これは本心からだけど、私にチアキを責める気はないんだ。
あなたの自分勝手なんて、今に始まった事じゃないし?」
「君なあ、言い方……って、俺が言えた事じゃないか」
眉を寄せた俺を見て、彼女がニヤリと笑う。
これは、からかわれてる。
いや、からかう体でたぶん、慰められてる。
「だから、この件でもう謝らなくていいよ。
事故の件をどう受け止めてどうしたかっていうのは、
私の事情と感情だもの」
「俺には、関わらせてくれないのか?俺の事なのに」
「うーん、ちょっと違うの。そういうつもりじゃなくてね。
ただ、私の感情も事情も私のものでしょう。チアキのじゃないよ」
「そうか……。そう、だな」
「そういう事。過去よりも、未来の話をしない?」
サァッ、と草を巻き上げて風が流れていく。
穏やかに晴れ渡る初冬の空と、草原と、黒を纏う彼女のコントラストに俺は目を細めた。
色白のあたたかな手が、繋いでいるのとは反対側の手を取った。
俺の両手を握った彼女が、正面から俺に向かい合って、微笑んだ。
「私は、チアキが好きだよ」
今度こそ遮らずに、彼女の言葉を受け止めた。
本当は、ずっと聞きたかったその言葉を全身に染み渡らせる。
「ありがとう」
「あとはそう……あの時の、愛さないって言葉。
私には愛してるにしか聞こえなかった」
「君には、何も隠し通せないんだな」
本当に、彼女には何も隠せない。
隠そうとしても、君の眼差しが、まっすぐな心が全てを看破してしまう。
「そうかもね。チアキの事なら、わかりたいって思うからかな。
それでね、抜け殻から立ち直って、今日は区切りをつけようってここに来たの。
どこにいたとしてもチアキを諦めない、って私の区切り」
「うん……君らしい気がする」
あたたかい両手を握り返す。細い指の感触がくすぐったい。
一歩こちらに踏み込んだ彼女が背伸びをして、首を傾けたかと思うと、俺の唇にやわらかくキスを落とした。
「!」
眼を閉じる間もなくもたらされたそれに、頬が熱くなる。
こんな心のこもったやさしいキス、受けた事なんてない。
「チアキ、顔赤いよ?」
くすりと彼女が笑いを零す。
ああ、今ので確信した。
きっと、情緒面の恋愛経験値は彼女の方が勝ってる。
と思うと同時に、彼女のこれまでの相手の事を想像してしまい、妬ましさと焦燥が湧いた。
「あまり、意地悪しないでくれ」
俺の口から漏れたのは、明らかに嫉妬やら戸惑いが入り混じった拗ねた声で。
我ながら恥ずかしくなった。
「嫌だった?」
「そんなわけないだろ」
正直、彼女から与えられるのならどんな態度でも言葉でも、
俺に向けられたものならきっと何でも喜んでしまう。
「ん。なら良かった」
今度は、右手の平、傷跡の残るそこにキスを贈られた。
俺の両手を繋ぎ直して、彼女が視線をさまよわせてぽつりと告げる。
「なんだか、こうしてても実感湧かないや。
ガラス越しの時間が長かったからなのかな」
「それはそうかもしれない。それに、1年離れてたんだ。
いきなり現れた俺に、実感が持てなくても仕方ないよ」
「そうだね。あとは、チアキが生きててくれて嬉しくて、
本当は今、どうにかなっちゃいそう」
おどけたように笑う彼女の腕を引いて、抱きしめた。
「俺も、生きて君にまた会えてこうして触れられて……
嬉しくてどうにかなりそうだ」
「うん」
背に回された腕が、抱き返してくれた。
あたたかい。
「ねえ、チアキ。今日、あなたと抱き合う事もできるけど」
「っ!」
ひそめた声音で、艶めいた言葉を耳に吹き込まれて、肩が跳ねた。
「ただね、私はもっと手を繋いだり、キスをしたり。
あなたの温度が当たり前になってから、深く触れ合いたい。
それでも良ければ、私と恋人になってほしいの」
「……本当に、君には敵わない」
俺と彼女との間にあるのは、あの孤島での特殊な環境下で芽生えた恋慕だ。
それを燃え上がらせるのではなく、暖炉の火のようにあたためていきたいのだと、たぶん彼女は思ってくれている。
「嫌、かな?」
「嫌なわけない。どうか俺を、君の恋人にして?」
甘えるような、懇願するような色の滲む俺の声音に、
嫣然と微笑んだ彼女は頷いてくれた。
「もちろん。ねえ、今日はこのまま駅の近くのカフェに行かない?
そこで連絡先を交換して、次に会う約束をしたいな」
「いいよ、もちろん。ところで、君は明日も休日?」
偶々、今日はカレンダー上の休日だ。
だからこれは、わかっていて敢えて訊いた事。
「うん、そうだけど」
「明日も、君に会いたい」
本当は、一瞬ですら離れていたくなんかないんだ。
だけど今それを乞うのは、現実的じゃない。
だから、赦される範囲で君に願ってしまう。
(どうかその声で、その唇で、俺の願いを叶えて欲しい)
自分がこんなに強欲だったなんて、君に会うまで知らなかった。
一瞬きょとんとした彼女は、やがてくすくすと軽やかに笑い声を上げた。
「やっぱり、なんていうかチアキだなあ……
いいよ、明日も会おう?」
「それから、もう一度君から俺にキスして」
「いくらでも」
甘く肯定されて、どうしようもなく胸が騒いだ。
頼むから、君がこんなふうに甘やかす相手は俺だけであってほしい。
コーラルピンクの爪に彩られた十指が、ゆっくりと俺の両頬を包み込む。
上唇をついばむようにひとつ、前髪を掻き分けた額にひとつ、
かたちを辿るように唇に何度も、何度も。
「ねえチアキ。生きていてくれて、ありがとう」
祝福のキスが、やさしく降り注いだ。